たかが、されど・・・「あと三日」・・
年の瀬になると毎年同じ思いにとらわれます。一年がまたあっという間に過ぎた・・。
歳を取るほど時のたつのを早く感じるということはよく言われることですが、最近はどうも若い人でも同じような実感を持っているようです。
これはスマホを片時も手放せないライフスタイルと非常に関係が深いように思います。
実際、スマホを家に置き忘れて外出しまうともはや待ち合わせもできず、時間を知るのにも不便で何とも心細くオロオロしてしまいます。
起きている間、いったい一時間に何回メールボックスやSNS、新着ニュースをチェックしていることか、動画サイトをサーフィンしていることか、20回や30回ではきかないはずです。
一日にすると数百回にもなるのではないでしょうか。
それでなくても仕事は山のようにあったりするのに、です。
これは現代社会に生きるものの宿命にちがいありません。
時間はいくらあっても足りない、だからChatGPTにやらせるんだ!そう方針を決めてもさらに時間は狭まってくるように感じます。
けれども、そういう時代、空気の中にいると失ってしまうものもゾッとするくらいに多いと思います。
たとえば、お墓参りをすることとか、年賀状を書くことなどは別にやらなくてもよいことですし、面倒といえば面倒なのです。
だから先祖代々のお墓も続々と墓じまいされているそうですし、年賀状じまいもどんどん増えています(というより、年賀状などという慣習はほとんどの若者にはもともと無縁です)。
確かにお墓に詣でることや年賀状をゆっくりしたためて旧交を思い起こすことなどはどれも心にゆとりがなければできないこと、ゲームや仕事とは違ってスピードやストレスというのとはまったく別の世界です。
セカセカしたライフスタイルからはしみじみと読書をしたりものを考えたりする営みがどんどん遠ざかってゆきます。
本を読むことはあるのですが、猛スピードで「有益な情報」を捜すことに慣れてしまっています。
たとえばですが、夏目漱石や森鴎外の小説のように本来身近なはずの「文化遺産」ももはやふつうの現代日本人が読み親しむ機会など皆無に近いのかもしれません。
さらに日本語に翻訳された古典的名著も山ほどありますが、こういうものには結局金輪際触れることもなく多くの日本人は一生を終えてしまうのではないでしょうか。
そんなものを読んでいるよりももっと面白いもの、もっと価値のあるものに接しているというのなら話は別ですが私たちの時間はより「どうでもよいような」世情のニュースやスキャンダルに悲しいくらい簡単に浸食されていきます。
空疎で、軽くて、刹那的、だけど気になるスキャンダルやエンタメばかり、まるで息をするように浴びつづけている、こういうことが決して他人事ではなく私ももちろん大いに毒されています。
でもこんなことをしていたら一年があっという間だと感じるのも当然のことです。
さてさてそれはともあれ、生物としての年齢は着実かつ洩れなく誰にも加わってきます。
今年私は11月にコロナに罹ってしまいました。
重症化こそしなかったものの倦怠感や頭痛、咳やのどの痛みがある間は本当に何をやってもダメで、ただ寝ているだけでも疲労がたまってくるような感じでした。
人生の後半にはいつ仕事から退くかが万人のテーマになりますが、何はともあれまず健康が失われれば引退せざるを得ない、こういうあたりまえのことをコロナに臥せっている最中に痛感しました。
コロナから回復して今更ながら健康が本当にありがたいものだと思うようになりました。
で、またあのセカセカした日常が始まったのですが、少しは意識して「ちょっと面白いがどうでもよいこと」に割く時間を減らすように心がけています。
年末年始にはそういう「このままだと一生思い返さずに終わってしまいそうなこと」の棚卸をして来年こそはセカセカ日常からしっかり意識的に距離をおいて生活してみたいもの、と思っています。
今年も残すところあと三日ですが、たかが三日と思わずきちんと大切に過ごしたいものだと思います。
皆様におかれましてもどうぞ良いお年をお迎えください・・・!次回の更新予定は1/8(木)です。
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