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「食育を知らない子供たち」

好きなものだけ食べたい

子供のメタボリックシンドロームはおそろしく奥が深い

以前、「子供のメタボリックシンドローム」のことを少し書きました。そこで私の考えていたことは、子供のメタボリックシンドロームを改善するのは、子供たち自身ではなく、大人がまず自らのライフスタイルを正してゆく、一方で、子供の生活パターンの乱調を無責任に放置しない。このような当たり前のことをするだけで、そんな問題はたちどころに解決してしまうに違いない、というものでした。

しかし、私の考えは甘かった。「問題はそんなに簡単なものではなさそうだ」ということを、先ごろ、ひとつのテレビ番組を見て思い知らされました。次回から、そのことについて改めて考えてみたいと思います。

NHKスペシャル「好きなものだけ食べたい〜小さな食卓の大きな変化」

そのテレビ番組というのは、NHKスペシャル「好きなものだけ食べたい〜小さな食卓の大きな変化(2006年6月放映)」です。番組は、日本の子供たちが家庭で与えられている「問題あるメニュー」を、三つのパターンに分けて紹介するところから始まりました(アサツーディー・ケイ社の実地調査結果に基づく)。

一つめは、「バラバラ食型」。たとえば父親は煮物、母親はサラダとワカメスープ、子供はサクランボととうもろこし、というもので、家族の各メンバーが自分の好きなメニューを食べるというものです。たとえば、「お好み食堂」を訪れた家族が、めいめいのメニューを注文しているのと似ています。

二つめは、「好きなものだけ型」と名付けられたもので、子供の好きなものだけを与えるものです。実例として紹介されていたものは、プチケーキにみかん、あるいは、冷凍たこ焼きだけ、せんべいとチョコパイ、なんていうすごいものでした。おやつではないのです。ちゃんとした1食分の子供のメニューです。

そして三つめが、ラーメンに納豆、うどんに野菜ジュース、カップめんにサプリメント(!)というパターンです。つまり、主食になりそうなもの(ラーメン、うどん、カップめん)に、「健康に良い」と一般的にみなされているもの(納豆、野菜ジュース、サプリメント)を1点だけつけた食事ということで、これには「切り札型」というケッサクなネーミングがほどこされていました。

他人事ではない(!)「問題メニュー」

こういう問題あるメニューの分類と、ネーミングに私は感心するとともに、この凄まじい状況に唖然とし、そして最後に「これは人ごとじゃないぞ」という気持ちに襲われました。ここまで極端ではなくとも、我が家の食卓でも、似たような傾向をもつメニューがけっこうあるじゃないか、ということです。つい、忙しいとか、家族の食事時間がそろわないために、どうしても粗雑になってしまう。また、健康によい食事メニューを意識して、メニュー全体と調和のとれていない納豆やチーズなどを食べて、つじつまを合わせたような気になる日がある(ヤバい!)ことは、確かに私の日常でも否定できないことだと思いました。番組ではさらに、その対策として、さまざまな研究者や医師、小学校や自治体が知恵をしぼって解決を模索する様子が紹介されていました。

そのうち、特に私の印象に残ったことを、次回で述べたいと思います。

「食」は肉体というより精神的な問題

番組では、肥満傾向にある子供たち数人が、東京医科歯科大学が計画した、一種の食生活改善合宿に参加する、という話が紹介されました。

予想された通り、軒並み朝食を食べないとか、野菜をほぼ全員が全部残すとか、そういう傾向が見られる中、2人の子供は、その指導される食生活が耐えられないといって、ついに泣き出してしまいました。今回の合宿に参加していた、肥満した子供たちにとっては、いわゆる「バランスがとれた食事」を勧められることが、「涙が出るほどつらいこと」であったようです。

この状況を少し深読みしてみると、この子供たちは、好きではないものを「食べなさい」と強いられるという、あたりまえの体験を、生まれてから全くしたことがない。そういう基本的な負荷にすら耐えられないような、非常に脆い精神状態におかれている、ということが言えるだろうと思います。

私は、このシーンを見ていて、拒食症という病を思い出しました。拒食症は、指でノドを刺激して、いったん胃に入った食物を全部吐いてしまい、口腔内に吐き胼胝(たこ)ができてしまう、という凄まじいものだそうですが、これは単に、栄養摂取の適否の問題ではなく、この人たちの精神的なバランスの失調によるものです。

恐らく、現代の子供たちには、このバランス失調が大なり小なり現われており、バランスの良いものを規則正しく食べるという、あたりまえのことができなくなっている、どうやらそんな状況が相当進んでいるようです。

まずかった昔の給食

時代はさかのぼり、私の小学校時代である昭和40年代を思い出してみます。アルミの食器に、脱脂粉乳、コッペパンが主食のようなもので、あとはウンザリするようなメニューの連続でした。はっきりいってそれはまずい、すべてを時間内に平らげることは、たいそうつらいものだったと思い返されます。時には、時間内に食べられないと、食べるまで立たされたりするという、今では考えられないようなこともよくありました。こういうことがよいこととは全く思えません。やはり、食事はおいしく楽しく、ということが基本におかれるべきです。私の子供たちに、小学校時代の給食について聞くと、「おいしかった」と言っていましたから、さすがにメニューは相当改善されたものと思われます。

しかし、先のNHKスペシャル「好きなものだけ食べたい〜小さな食卓の大きな変化」で映し出されていたものは、おびただしい量の残飯です。ブロッコリーなどは、ほとんど無傷でポリバケツに廃棄されていました。これは単においしくないので残す、ということでないのは明らかです。

特別な日に好きなものを食べさせてもらった記憶

これも私の子供時代(昭和30〜40年代)の話ですが、毎年誕生日になると、母親が私の好物を聞いてくれ、それを食卓に盛りつけて家族で楽しむ、ということをしていました。それは、食べものにまつわる楽しみだった日として、記憶に残っています。逆に言えば、普段の日は、特に自分の好きなものが並んでいるわけではなく、それが普通でした。だいたい、どこの家庭も、そんな感じだったのではないかと思います。

それでも、好き嫌いというのはすでにありました。まともな食事にありつけないのが日常であった戦争期を経験している、私達の親の世代(大正〜昭和ひとケタ世代)にしてみれば、「好き嫌いなど怪しからん」という思いだったでしょう。

好きなものしか食べずに済む人生

ひるがえって、現在ではコンビニやスーパーに行けば、そこそこリーズナブルな価格でいわゆる「家庭料理」が、いつでもどこでも簡単に手に入るので、そういう便利なものを利用しようという気持ちは、当然に起こってきます。わざわざ、コンビニで嫌いなものを買う人もいないでしょうから、それらのメニューは家族の好きなものだらけ、という状態になります。しかも、昨今店頭に並んでいるものは、客観的においしさという水準から見ても、非常に高いレベルにあります。

食べ残すことに毎日こだわった日々

私の子供時代では、母親が市場で買ってくる食材にも限りがあり、自然とメニューの種類も制限されてしまいました。さらに、料理を作る人は、その限られた食材のみで工夫するので、手間ひまが自然につけ加わります。なので、「せっかく作ったんだから残さずに食べて欲しい」「せっかく作ってくれたんだから残してはすまない」、という意識のせめぎあいのようなことが、毎日自然に、どこの家庭にもあったといってよいと思います。出来合いのものを日常的に買い与え、与えられる中には、その食材を粗末にすることに対する抵抗は、限りなく小さくなってくるにちがいありません。親の方としても、子供が食べ残すことに対して、こだわる気持ちは少ないでしょう。

高知県の小学校の取り組みに感服

NHKスペシャル「好きなものだけ食べたい〜小さな食卓の大きな変化(2006年6月放映)」では、子供の教育、親の教育などの取り組みが具体的に紹介されており、それぞれの成果もかなり見えていましたが、一方ではまだ決定的な方法論にまで高められていない試行錯誤の状況ではないかとも思われました。その中で、これは根本的にすごいなと唸(うな)ったのは、高知県のある小学校の例です。

その小学校では、「自分たちの給食に用いる農作物を自分たちの手で育てる」、ということを実践しており、結果的に給食の残飯はほぼゼロ、というところにまで達しているということです。結局のところ、「毎日得られる、食の恵みに対する感謝の念」、といったところに立ち返ることで、すべてが解決しているというそのあざやかな成果には、非常に驚くとともに救われる気持ちになりました。

とんでもなく悲観的な将来の日本人の食と健康

さらに、NHKスペシャル「好きなものだけ食べたい〜小さな食卓の大きな変化」では、その他、

「子供のII型糖尿病が過去20年間で2.7倍に増加している」

「10人に1人の子供が高脂血症である」

「肥満児が20年間で1.5倍増加したとともに、痩せている子供が2.6倍に増えている」

などのデータが紹介されていました。もちろん、肥満している子供が、将来、メタボリックシンドロームのリスクを背負うことは、当然として考えられますが、痩せている子供のケースにおいては、後年、骨粗しょう症となる可能性や正常な妊娠が難しくなる可能性、などが指摘されていました。これは何を意味しているか?

現在、急速に進んでいる少子化に追い討ちをかけるように、その「貴重で少数の子供たち」が、「まともな体躯を備えていない」、ということになります。これは実態の予測としては、途方もなく悲観的なものだと思います。

朝食をきちんと摂るためには、どんな生活をせざるを得ないか

朝食を摂ることの重要性については、大人についても子供についても方々で論じられています。その問題ついて私は、単に、これまでないがしろにしていた一食分を無理してでも食べる、といった単純なことではないと思っています。質・量ともに充実した朝食を摂るためには、それを作る人が必要になります。そしてそれを準備する時間と食べる時間が必要です。つまり、絶対に早起きしなければなりません。早起きするためには、夜更かしを避ける必要があります。そのためには、早めに夕食を食べることになり・・・・。こういうことを考えていくと、結局、非常に理想的な1日の生活パターンを手に入れること以外に、充実した朝ごはんを食べる生活は実現できない、という結論になります。

「朝食」には昼食や夕食にはない意味が隠されている

ここまで来ると耳の痛い話になりますが、結局のところ「朝ごはんを食べているかどうか?」は、“その人がどういう人生観をもっているか”ということを、色濃く反映しているという意味深い話につながります。子供を見れば、ある程度は親の性向がわかるはずであり、「親の顔が見てみたい」というコトバが、妙に説得力を持って響いてきます。

今回の番組(NHKスペシャル「好きなものだけ食べたい〜小さな食卓の大きな変化」)の最後に、「あなたは自分の子供に好き嫌いを言わずに食べなさい、と迫れますか?」という意味のことが問いかけられていましたが、これも意味深長です。たしかに、子供との軋轢を避けて通る傾向が、私の中にもあると思いました。ここでも一本取られたなと思いました。

結論としていうならば、朝食を摂ることは、「健康のため」のみならず、「ある種の折り目正しい生活の結果」なのだということになるでしょう。

サプリメントはまともな生活の土壌の上にしか存在できない

ついでながら、今回、子供のメタボリックシンドロームについて考える中、コンビニやスーパーの弁当や惣菜、レトルト食品やカップ食品などを問題視するようなトーンで書いてきました。しかし、当然ながらモノは使いよう、ということに相違なく、美味しく、手軽でバラエティーに富んだ選択肢というのは、現代日本の優れた食文化のありようである、ということも言っておかねばならないと思います。

それにしても、今回この問題について書いてみて、しょせん土台がガタガタの食生活の中に、サプリメントなど全く出番のないことに改めて気付きました。

サプリメントはあくまでも、「健康で文化的な生活」のある土壌にのみ存在できるものである、ということです。

(2006年6月〜8月)

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